相続トラブルを防ぐ手段として有効な「遺言書」ですが、その作成方法は、長らく全文を手書きすることが原則とされてきました。
この方式は、本人の意思を確実に残すという点では合理性がある一方で、身体的負担が大きく、形式要件の厳格さゆえに無効となるリスクも抱えていました。
しかし近年、社会全体のデジタル化の進展や、法務局による遺言書保管制度の創設などを背景に、遺言制度は大きな転換期を迎えています。
こうした中、法制審議会の部会は、パソコンなどのデジタル機器で作成した遺言書を、法務局がデータとして保管する「保管証書遺言」の導入を柱とする要綱案をまとめました。
政府は、2026年度中の民法改正を目指すとされています。
今回は、この「デジタル遺言書」とも呼ばれる新たな制度の概要と、注意すべき点を整理してみたいと思います。
現行の遺言制度の課題
現在、実務上「主な遺言の方式」とされているのは、次の2つです。
・自筆証書遺言
本人が全文・日付・氏名を手書きし、押印して作成するもの
・公正証書遺言
公証役場で、公証人と証人の立ち会いのもと作成するもの
自筆証書遺言は費用がかからない反面、
・長文を書く負担が大きい
・記載ミスにより無効となるおそれがある
・紛失や改ざんのリスクがある
といった問題点が指摘されてきました。
一方、公正証書遺言は安全性が高いものの、
・数万円以上の費用がかかる
・事前の書類収集など手間がかかる
といったハードルがあります。
なお、公正証書遺言については、昨年10月から公正証書の作成手続きのデジタル化が始まり、公証役場へ行かずに電子的な方法で作成できる環境が進められています。
また、法律上は「秘密証書遺言」という方式も存在します。今回の改正案では、自筆証書遺言とともに秘密証書遺言についても押印要件が廃止される方向とされていますが、実務上の利用は限定的であり、制度見直しの中心は、デジタル技術を活用した新たな遺言制度の導入にあります。
新たに検討されている「保管証書遺言」とは
今回の要綱案で中心となっているのが、保管証書遺言です。
これは、
・パソコンなどで遺言書を作成
・そのデータ(または印字した書面)の保管を、
法務省管轄の法務局にオンラインや郵送で申請
する仕組みです。
現行の自筆証書遺言では、パソコンで作成できるのは財産目録のみで、本文や日付、氏名は手書きが必要とされています。また、法務局で保管してもらう場合も、原則として対面での手続きが求められています。
これに対し、保管証書遺言では、法務局の担当官がウェブ会議や対面で本人確認を行い、遺言者本人が遺言の全文を読み上げることで、真意に基づく内容であることを確認する仕組みが想定されています。これにより、なりすましや、本人の真意に基づかない遺言作成を防ぐ狙いがあります。
さらに、法務局が遺言書を保管している事実については、本人の死後、あらかじめ指定された人に通知されます。指定されていない相続人が閲覧請求をした場合には、他の相続人にも通知が届く仕組みとされており、遺言の存在が知られないまま相続が進む事態を防ぐ工夫が盛り込まれています。
緊急時の録音・録画も容認へ
病気などで生命の危機が差し迫った場合に認められる「死亡危急時遺言」についても、大きな変更が検討されています。
・スマートフォンなどによる録音・録画
・立ち会いは1人でも可
とする案で、大規模地震などの天災や、船舶の遭難時も同様に扱うとされています。
利便性の向上と「本当に大丈夫か」という視点
デジタル遺言書の導入は、
・高齢者の身体的負担の軽減
・遺言書作成のハードルを下げる
という点で、大きな意義があります。
一方で、
・録音・録画データの真正性
・判断能力が低下した状態で作成された遺言の扱い
・相続開始後のトラブル防止策
など、慎重な制度設計が求められるのも事実です。
おわりに
遺言制度は、「残す側」のためだけでなく、「残される側の紛争を防ぐ制度」でもあります。
デジタル技術の導入によって選択肢が広がる一方で、制度の理解不足が新たな混乱を生む可能性もあります。
制度改正の動向を注視しつつ、「便利になったから安心」と短絡的に考えるのではなく、どの方式が自分にとって最も適切かを見極める視点は、今後も変わりません。